自己肯定感ゼロから自分大好き!への道〜前編〜

私はピラティスのインストラクター時代から、数秘術のセッションとマインドフルネス瞑想の講師をお仕事にしている今まで、ずっと変わらず軸にあるのは「来てくれたクライアントさんの自己肯定感をあげ『自分大好き!』と言える人で日本中をいっぱいにする!という思いです。

何故そんなに自己肯定感を上げたいのか

私は幼少期からずっと外見コンプレックスの塊で「美しくなって愛されたい!」と願い続けてはダイエットやおしゃれに力を入れ、挫折して泣き、成功したらしたで「外見を磨いても愛されない」と絶望的な気持ちになることを繰り返してきました。
それを劇的に救ってくれたのが、数秘術とマインドフルネスだったのです。
この二つのメソッドに出会ってからも、コンプレックスが出来上がるきっかけになったトラウマを理解し、そこから抜け出し、現在のように「自分が大好き!」と言えるようになるのには何年もかかりました。

私のお仕事を理解していただくために、今に至るエピソードを3回に分けてお話ししようと思います。

1972年生まれの私が幼い頃住んでいたのは東京の荻窪という街です。
物心ついた最初の記憶が2歳くらい。当時私は母も子供の頃習っていたというクラシックバレエに通っていました。週に何度かタイツとレオタードを着て教室に行き鏡の前で練習する楽しさと言ったら言葉では言い表せないくらい!お稽古の日が楽しみで仕方なかったのですが、ある日教室から帰宅すると母に言われました

「今日でバレエはやめるのよ」

ショックに大泣きしながらなんでなんでと聞く私に母は言いました。「みきちゃんはガニ股で太っていてバレエが似合わないでしょう?お母さん他のお母さんと一緒に見てるのが恥ずかしかったの」
自分の容姿を他人と比べるということをおそらくしたことがなかった私に取っては大変な衝撃でした。近年何度も「自分史年表」を書く機会があったのですが毎回「最も私に影響を与えた出来事」として外せない大事件です。

私の母は当時会社を経営していた祖父のもとでお嬢様として育ち、両親兄弟皆がスタイルが良く目鼻立ちも美しい容姿に恵まれた家庭の人でした。
そんな母が色々あって、当時自衛官だった父と結婚することになり、優雅さとは無縁の背が低くがっしりした体型で、顔も厳つい父にそっくりだった私の容姿をかなり憂いていたのは事実でした。

その後も母が発する私の容姿に対する言葉が20歳を過ぎるまで私に突き刺さり続けます。

「あなたをを乳母車に乗せているときに誰かに覗き込まれると恥ずかしくて急いで顔にハンカチをかけて隠したのよ」
「ほら、あなたは半分はお父さんの血だから普通にしてたらダメなの。綺麗でちゃんとした子になる努力をしないと」
「〇〇ちゃんは色が白くて華奢だからピンクが似合うけど、みきはだめよ似合わないから。スッキリ見えるように黒白にしなさい」
「人よりいいものを着ないとだめ。普通の服を着たら品が悪く見えちゃうわ」

その頃父と、母の実家との折り合いが悪くなっていて母の中で私が親戚の中にちゃんと居場所があるようにしたいと言う思いからかもしれませんでしたが、他の従兄弟たちと比べて恥ずかしく無い学歴を、立ち振る舞いを、容姿を、と言われ続けるうちに私は「あるがままでは誰にも愛されない」「人より優れていないとお母さんにすら愛されない」と言う思いを強めていってしまいました。

24歳で結婚した後も鏡を見ると吐き気がするようになり、誰に相談していいか分からずとうとう大学病院の精神科へ行きました。当時は今のようにカウンセリングやメンタルクリニックはメジャーではなかったのです。
しかしそこで受けた治療ではなく、今思い出すとどうしても笑ってしまうような出来事が、私を救うきっかけになってくれたのです!

コメント

“自己肯定感ゼロから自分大好き!への道〜前編〜” への2件のフィードバック

  1. かとうのアバター
    かとう

    ママ〜!🤣

    初めて会った時からずっと素敵ですよ!

    1. mikikoのアバター

      かとうさん、ありがとうございます。今は自分のこと素敵な存在だと思っています!

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