何だか深遠なタイトルをつけてしまいましたが、今日私が書きたいのは愛についてです。
先日ほぼ50年ぶりに幼い頃に住んでいた街へ行ってきました。
私の中にある古い断片的でありながらとても鮮やかで素直な子供時代の記憶がいっぱい詰まった街です。
2歳3歳の頃の記憶がたくさんあると言うと「嘘だー」って言われることあるんですが、本当にあるんですよ。
あの頃私は自分のことをとっても可愛いお姫様だと思っていました!笑
何をしてもどんな私でもみんなが私を愛してくれると信じていました。
でも、あれれ?
「ちゃんとご挨拶しないと」
「笑顔ではい!とお返事しないと」
「欲しいものがあっても我慢しないと」
「口答えしないですぐに謝らないと」
「大人の話に口を挟まず静かに待っていないと」
「お友達とは仲良くしないと」
お母さんは笑ってくれないらしい。私は悪い子、他の子と比べて自慢できない子になっちゃうみたいだ!!
これは大変だ!!!!!!
こうして私たちは幼い頃から、愛してもらうには条件があるんだと思い込みせっせとたくさんの鎧を身につけていくのでは無いでしょうか?
周りの大人が笑っていてくれると安心する。
褒められるとこれでいいんだとホッとする。
でも、成長して大人になり社会に出てゆく中で、違う!って思いながら同調したり、そんなものだと言って夢を諦めたり、周りから浮かないために自己表現を辞めたりしてゆくと、自分を見失ったり、生きる目的が見えなくなったりして結局もう一度失ってしまった「自分探し」をし始める。
まるで人生ゲームみたい!
私もいい子過ぎてすっかり見失ってしまった自分探しを大人になってから何年も何年もやることになりました。
そして50代になってそのかけらがたくさん見つかってきました。
生きている間、一番大切なものはなんでしょう?
それは「私」
生きている間、私を一番愛して大事にしてくれる人は誰でしょう?
それは「私」
愛することにどんな条件があるでしょう?
どんな私だったら愛せますか?
どんな私でもいいんです!
ただもうそのままここに生きているだけで
貴重で尊くて唯一無二の存在なんだもん!
最近ではこんなふうに思っています笑
そして、子供や家族や近しい人たちに対しても少しずつですが「こうあって欲しい」と思わなくなりました。
特に子供には失敗してほしくないあまり、あれこれアドバイスをしたくなるのですが、「おっといけないいけない!」とただ無事を祈るだけにしようと思うようにしています。失敗も成功も本人の選んだ通りに。遠くへ行くのも冒険するのもやりたいと思ったら応援する。
危ないから辞めてほしい、遠くへ行かないで欲しい、お金には困らないでほしい、etc…は本当は私が安心していたいからそう思っているだけ。
愛は無条件。
条件付きの愛は執着そして欲。
人に対しても自分に対しても同じ。
偉そうなことを書きましたが私が何十年もかかって見つけ出してきたキーワードです。こうして書くことで私自身も確認しているのだと思います。
読んでくださってありがとう。
Mikiko
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